胞状奇胎と診断されたけど、たった半年で次の妊娠ができた私の体験談。

      2016/12/18

こんにちは。ちゃんママです。

子供ができる事って本当に奇跡で、もう神の領域の出来事と思わざるを得ないほど神秘的な事なんですよね。

昔その神の領域に、たかだか数十年しか生きていない人間の私が手を突っ込もうとしたことがあります。回りくどすぎますかね??

何のことかというと、一度男女の産み分けに挑戦してみたことがあるんです。タイミングを合わせることと、リンカルという錠剤を用いて臨んでみました。

結果・・・胞状奇胎という異常妊娠をしました。

産み分けと胞状奇胎には何の因果関係も無いとお医者さんには言われました。しかし、私にはそうは思えなかったんです。

「きっと罰が当たったんだ。神の領域に手を突っ込んだ罰。授かる事だけでありがたいのに、欲を出してしまった罰。純粋な気持ちで妊娠を望まなかった罰。」

胞状奇胎になった方が全員何かの罰に当たったとか、そういう意味ではありません。あくまで私の場合は、妊娠に対する姿勢のせいで胞状奇胎になったと思い込んでいたんです。

診断された時はめちゃくちゃ泣きました。そしてガンになる恐怖に脅えました。そして、1年間治療に専念し、その甲斐あって第2子を授かり無事出産しました。

それでですね。今は、胞状奇胎という病気も私には必要だった。と思えるようになったんです。人間の脳は都合よく解釈できるようにできているものですね。

今ならあの時の事、冷静に振り返れます。だから、綴ります。

今絶望の谷を見ているあなたが、1日でも早く希望の丘を登れるように。

まずはじめに胞状奇胎について軽くご説明を致します。

 

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胞状奇胎とは

妊婦さんの400人~500人に1人という確率で起こるといわれる異常妊娠で、医学的には絨毛性疾患の1つです。・・・(省略)妊娠の継続が難しく、絨毛ガンになってしまうリスクもある病気です。

(省略)

「胞状奇胎(ほうじょうきたい)」とは、絨毛細胞だけが異常増殖を起こして水疱上になり、やがては子宮の中を覆いつくしてしまうことをいいます。

胞状奇胎の原因は、染色体異常と考えられています。また、胞状奇胎は主に2種類あり、受精後に卵子の核が不活性化または消失し、精子の核のみが分裂増殖していくことが原因で起こる「全胞状奇胎」と、正常な一つの卵子に二つの精子が侵入することが原因で起こる「部分胞状奇胎」があります。

引用:こそだてハック

なんて残酷な病気なんだろう。子供が欲しい、赤ちゃんに会いたいと願ったことがガンを引き起こすかもしれないなんて。天国から地獄へ・・・まさにこの病気のことだと思いましたね。

因みに私は全胞状奇胎でした。

発見された時

初めての検診

妊娠検査薬で妊娠が分かり、初めて産婦人科で診察してもらった時に発見されました。胞状奇胎になると茶色いおりものが出る、とか激しいつわりに襲われる方が多いようです。

しかし、私の場合はごく初期にはそのような前触れ的な症状はありませんでした。1人目の時にも割と早い段階からつわりがきていましたので、逆に少々のつわりは本当に妊娠した証とさえ思っていました。

ただ、母親の第六感と言いますか「今回の妊娠は何だか違和感がある。妊娠しているのにしていない気分。」と感じていました。体で起きている変化を、脳も薄々感じ取っていたのかもしれません。

この母親の第六感が的中したのは、初めての診察の時でした。

先生:「おかしいな~。胎嚢が見えないんだよな。」

「えっ!?」という驚きよりも「やっぱりな。」という納得の方が大きかったです。

先生:「妊娠検査薬では陽性の反応が出ていたんだよね?」

ちゃんママ:「はい・・・。」

先生:「おかしいな~。もう一度尿検査しましょう。念のため血液検査もしておきましょう。」

ちゃんママ:「はい・・・。」

血液を採取してから結果が出るまでの1時間は、心臓がドキドキなりっ放し。旦那氏も一緒に病院に行ってくれていたのですが、

旦那氏:「今回はダメだったのかもしれないな。また頑張ろう。」

と励ましてくれていました。私は「そうだね。」と納得できていない自分をなんとか納得させながらも、「もしかしたら妊娠しているかも。」と一縷の望みを捨てきれずにいました。

そして1時間後その望みは、見るも無残に打ち砕かれたのです。

先生:「 hcg値がとても高いので胞状奇胎という異常妊娠の可能性が高いです。この病院ではこれ以上調べる事も処置をすることもできないので大きい病院に行く必要があります。」

ちゃんママ:「hcg?胞状奇胎?なんですかそれ?」

頭が?でいっぱいだった私に先生は医学書の様な本を見せながら説明をしてくれました。hcg値とは絨毛から分泌されるホルモンのことで、胞状奇胎になるとこの値がめちゃくちゃ高くなるそうです。私の場合は、たしか妊娠4週目で12,000を超えていたように記憶しております。

絶望的な言葉

しかしその時は、耳に入ってくる言葉はすぐに流れ落ちてしまい、唯一聞き取れたのが

先生:「最低でも1年間は次の妊娠はできません。」

という言葉でした。言葉と言うより、最終宣告のように聞こえましたね。先生の言葉は、妊娠を強く望んでいた私の頭にズドーン落ちてきて、あまりのショックさと絶望で涙を堪えるのに必死でした。

旦那氏は車の中で待っていてくれ、お会計を済ませた私はダッシュで車に戻り声を出して泣きました。

胞状奇胎との闘い

診断確定の記憶

悪夢ともいえる診察の翌日、広島市民病院という大きな病院に行きました。

尿検査、エコー、採血をした後、正式に胞状奇胎が確定しました。

先生:「すぐに手術をしましょう。明後日はいかがですか?」

心の準備も、入院の準備も全くできていない状況だったので一瞬迷ったのですが、前日から急激につわりの症状が出始めたので(病は気からなのでしょうか!?)すぐに手術することにしました。

ちゃんママ:「分かりました。お願いします。先生、今回このような病気になったのは私の体に異常があったからなのでしょうか?」

先生:「それは全く関係ありませんよ。誰にだって起こる可能性があるんですよ。確率の問題です。今回は事故に遭ったと思うしかないですね。

ちゃんママ:「事故ですか・・・」

女性の先生だったのですが、とてもサラッと「事故」と言ってくれたことに心が救われました。一見デリカシーが無い発言のように思えますが、先生の言葉のおかげで「私の体が悪かったんじゃないんだ。運が悪かっただけなんだ。」と素直に思う事ができました。

ちゃんママ:「1年は妊娠してはいけないと言われたのですが・・・本当ですか?」

先生:「hcg値の下がり方が順調なら1年もかからずに妊娠の許可がでますよ。数値がしっかり下がれば次の妊娠には何の影響もないので頑張りましょう。」

不安だらけの心の中に一筋の光が差し込み、同時に闘病への覚悟を決めました。

手術から通院までの記憶

1泊2日の入院で手術を行いました。胞状奇胎の摘出手術は2回に分けて行う病院が多いそうです。しかし、とても幸いなことに、私の入院した広島市民病院では1回の手術で全て摘出してくれました。これは心身ともに負担が少なく、次の妊娠へのステップも早いので本当に助かりました。

退院した後は、一週間毎に通院をしてhcgの値を観察していきます。最初の1カ月は値の下がり方が鈍く、先生も心配していたのですが、1カ月を過ぎたら順調に下がっていきました。

数値が下がってくると通院も2週間に1回になり、最後の方は1カ月に1回になりました。

そして、手術をしてから4か月後・・・

先生:「今まで本当にお疲れさまでした。数値がほぼ0になりましたので、病院に来るのは今日で最後にしましょう。妊娠も、もう大丈夫ですよ!」

最後の内診をして頂き、念願の妊娠OKのお許しが出ました!想像していたよりもめちゃくちゃ早く通院生活を終える事ができ、本当に嬉しかったです。担当してくださった先生方や看護婦の方々に今でも心から感謝しております。

何の情報も調べず選んだ病院だったのですが、この病院にして本当に良かったと今でも思っています。

無事妊娠できました

先生には「1度胞状奇胎になった人でも、次の妊娠で胞状奇胎になる確率は他の妊婦さんと変わらないからね。心配しないで!」と言われました。しかし、心配するなと言うのは無理な話で、不安で不安でたまりませんでした。

そもそも、妊娠できるのか?手術をした後は妊娠しにくくなっているのではないか?などなど当時の私の頭の中は、心配事で埋め尽くされていたと思います。

マイナスイメージしか無いまま前回の妊婦生活を終えているので、妊娠のポジティブなイメージなんて全く持てませんでしたね。

「今回は産み分けとか無しで、授かれたら男でも女でもどちらでも良い。」

旦那氏と思いは一致していました。ここでまた産み分けに挑戦!できるほどメンタル強くないんです。私・・・

神様が許してくれたのか、先生からのお許しが出てから3か月後、めでたく妊娠することができました。胞状奇胎の診断から7か月後の事でした。最初の妊婦検診は足がブルブル震え、手汗かきまくりの猛緊張。

「また胎嚢が映らないかもしれない。期待するのはやめよう。」

「いやいや、今回は大丈夫。400~500人に1人の確立の病気に2回も続けてなるわけがない。きっと今回は授かっている。」

マイナス思考とプラス思考が行ったり来たり。感情の起伏がめちゃくちゃ激しくてすごく疲れた初診でした。診察の瞬間は怖くてエコー画面を見る事が出来なかったんです。すると、

「これが胎嚢だよ~。見える?妊娠○週目だね。」

という先生の声が聞こえ、その時、私はやっと胞状奇胎の呪縛から解き放たれたのでした。

まとめ

妊娠の経過はすこぶる順調でした。(相変わらずつわりは厳しかったですが。)

そして、元気な女の子が産まれてきてくれました。

もう、本当にありがたくて。「元気に生まれてきてくれてありがとう。」この一言以外思い浮かびませんでしたね。この子に会うまで長い長い道のりでしたが、そのおかげか、ものすごく愛おしく感じました。

胞状奇胎と診断された時は「なんで私が。」とか「なんでよりによって胞状奇胎。」とか、やり場のない悲しみが込み上げ、希望なんてとてももてませんでした。

絶望の淵にいるような気分になり、妊婦さんを見ることも「妊娠」という文字を目にするだけでも辛かったです。しかし、この病気にはきちんと治療する術があり、治療をすればほとんどの場合は元の生活に戻ることができます。(ガン化してしまった場合は継続的な治療が必要なので「ほとんど」とさせて頂きました。)

今現在、胞状奇胎で絶望の淵にいるあなた。どうか現状を悲観せずに、とにかく今は治療に専念してください。

治療が終われば生活は本当に元通りです。しかし、残念な事に、治療で病気は無くなりますが、不安な気持ちは無くなりません。

だから、私の様に治療を終え無事に次の出産まで辿り着いた経験者がいるよ!という事を伝えたかったのです。この声が心の薬となり、希望を持って頂けたら何よりです。

きっと大丈夫。また赤ちゃんをその手に抱ける日が必ずきます。だから胞状奇胎なんかに負けないでください!!

 

以上で本日のままれっじを終了いたします。

長文になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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